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ランゼッティ チェロ・ソナタ集CD発売記念連載 第1回

ランゼッティ チェロ・ソナタ集CD発売記念連載 第1回 サルヴァトーレ・ランゼッティのこと

9月7日、私の初めてのソロCDである「ランゼッティ チェロ・ソナタ集」(ALCD-1131)がコジマ録音レーベルからリリースされます。

CDジャーナル ニュース
http://www.cdjournal.com/main/news/kaketa-takashi/46889

Yahoo ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120903-00000019-cdj-musi

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CDリリースに合わせて、ランゼッティと今回の演奏についての覚書、CDについてブログを定期的に更新していきますので、ぜひご覧ください。

まず、初回はこのチェロ・ソナタの作曲者であるイタリア人サルヴァトーレ・ランゼッティ(c1710-1780)について書いていきましょう。音楽家の間でさえもランゼッティの名とその音楽を知っている人は、おそらくかなり少ないでしょう。バロック時代のチェロのための作品といえば、バッハの無伴奏組曲、ヴィヴァルディのソナタが一般にはメジャーでしょうか。しかし、サルヴァトーレ・ランゼッティは1680年代に始まった独奏旋律楽器としてのチェロの歴史の草創期において、非常に大きな役割を果たした存在だということができます。

チェロの発祥に関する歴史とその問題点については、またあらためて記事を書くつもりですが、おおまかにはこうです。ヴァイオリン属の低音楽器として作られたヴィオローネ(または様々な呼び名を持つ)が、弦の改良と小回りのきくような小型化の要求とともにほぼ現代のサイズまで小さくなっていったことで、ヴィオロンチェロ(小ヴィオローネの意)という名に変わっていきます。史料上初めて「ヴィオロンチェロ」という名が現れるのは、1665年ジューリオ・チェーザレ・アッレスティの作品においてです。ソロ楽器としてのチェロに作品が書かれたのは1680年代以降、ドメニコ・ガブリエッリ、ヤッキーニ、ボノンチーニというボローニャの音楽家達によってですから、ランゼッティは「チェロ」が独奏楽器として見なされるようになってから30年もたたないうちに生まれたということになります。

ランゼッティが生まれたナポリは、当時4つの音楽院を持ち、厳格な音楽教育を行うことでも既に有名になっていました。それらの音楽院は、有名なペルゴレージ、レオナルド・レオ、ニコラ・ポルポラなど多くの優秀な作曲家、そして演奏家を育てています。その中の一つ、サンタ・マリア・ディ・ロレート音楽院で教育を受けたランゼッティは、卒業後の1727年イタリア中部トスカーナのルッカという街の宮廷教会音楽家として雇われます。ルッカは1687年にジェミニアーニ、1743年にはボッケリーニ、19世紀にはプッチーニが生まれた街として有名です。ボッケリーニの父親レオポルドが生まれたのが1712年ですから、もしかしたら15歳のボッケリーニ父は20歳前後のランゼッティの演奏を聴いているかもしれません。

その後すぐにトリノ宮廷にヘッドハンティングされたところを見ると、20歳前後ですでにかなり抜きん出た音楽家として存在感を示していたのでしょう。トリノ宮廷に籍を置いたまま、彼はパリやロンドンなど北ヨーロッパを演奏旅行し、なんとロンドンにはそのまま1754年まで滞在することにしてしまいます。その間の1736年には、パリの有名なコンサートシリーズ「コンセール・スピリチュエル」で初めてのソロ・チェリストとして招聘され、1738年以降パリのチェロソナタ集の出版ブームに大きな影響を与えたと思われます。(ある社は、1750年までの間に26巻ものソナタ集を出版。1巻6曲と考えると156曲!)チャールズ・バーニーによると、ロンドンでのランゼッティは大成功を収め、ロンドンでのチェロ趣味というものを定着させるのに大いに貢献した、ということですから、まさに華々しいソリストキャリアを築いたのでしょう。

それ以前にも、ナポリからウィーンに渡ったフランチスチェッロ(フランチェスコ・アルボレア)のような伝説的な名人チェリスト(クヴァンツが「比類ない」と感動し、ベンダは「彼のチェロのようにヴァイオリンを弾きたい」と熱望した)やシプリアーニ(1678-1753)はいたものの、ランゼッティはフランス、ドイツ(記録では1751年フランクフルト・アム・マイン)、イギリスといった国際的な舞台で独奏チェロ分野への認知を確立させたという意味で、その役割は非常に重要であったということが言えます。

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パリでデビューした1736年にアムステルダムで12曲のソナタから成る作品1を、その後はロンドンとパリで作品集を出版しています。ロンドンで出版したソナタ 6 Solos after an Easy & Elegant Tasteや、パリで出版した作品5,6は技巧的にも成熟しますが、作品1で持っていたような荒削りの魅力には欠けるように思います。

長い不在にもかかわらず、1760年代にトリノ宮廷の元のポストに戻ったということですから、彼がどれだけ職場で厚遇されていたのか推測できます。
ランゼッティの先進的な部分は、それまでに見られなかった名人技的なものを多く作品に盛り込んだことでしょうか。たとえば作品1のソナタ12番では、高音域で左手親指を使用したテクニックが頻繁に使われ、音域は開放弦の2オクターブ上のa"まで上がっていきます。重音の効果的な使用や、様々なボーイングのテクニックも画期的で、ランゼッティの特異性もさることながら、ナポリの音楽教育がいかにレベルの高いものであったかが想像できます。

より詳細で有益な情報については、音楽学者山田高誌氏によるCDブックレット解説がありますので、是非そちらもお読みすることもお薦めします。

次回記事では、今回録音した1~6番のソナタの聴きどころ、レコーディングの様子などご紹介したいと思っています。(次回更新は来週9/7(金)を予定しております。努力します。)
by takashikaketa | 2012-09-01 03:59 | Musica 音楽

チェリスト 懸田貴嗣の備忘録


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