古楽亭日乗

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カテゴリ:Diario 記録( 17 )

イタリア・ビザ取得メモ

就学ビザ 申請に必要な書類

非常に度々必要な書類内容が変更されます。これからビザを申請する方は、イタリア大使館または領事館に詳細をお問い合わせ下さい。私の場合、発給までは一週間ほどでしたが、予定よりなるべく早めに申請手続きを行うことをおすすめします。

以下は、2006年9月28日現在の情報です。

1)パスポート本券、パスポート内の写真が張ってあるページのコピー
 日本再入国予定日から3ヶ月以上の有効期限が残っていること
2)パスポートサイズの写真を貼付けした就学ビザ申請書
3)入学許可証
 ※入学許可証には、月間最低80時間の授業時間が必要で、この授業時間は入学許可証に記載されていないといけない。
 ※入学許可証は、学校のレターヘッドの入った用箋で発行されたもので、それを発行した者の判読可能な署名があるものでないといけない。
4)入学する学校(私立学校の場合)がイタリア政府の公認校であることを証明する書類。そのような公式記録がない場合は、商工会議所もしくはStatuto della Scuolaへの登録証明書を提出してもよい。
5)講座全期間分の授業料支払済み領収証
6)滞在期間中、十分生活し得る銀行残高証明書(英文)
7)奨学生は奨学金を支給される旨の証明書。
8)ビザ有効期限の1000万円以上の保険・医療・入院費用をカバーする、保険会社の保険証。伊文か英文。
9)住民票
10)イタリアでの宿舎の証明。(大家さんの身分証明書のコピーを含む)

以上の2)以外の書類に関して、すべて原本とコピーを用意すること。
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私の場合は、奨学金によって授業料と宿舎が提供されていたため、10)の証明に関してはさほどの苦労はありませんでしたが、初めて留学する人は一体どうするんでしょう!?
家探しに一回イタリアに行って来いっていうことなんでしょうか?

ここ2,3ヶ月の間で保険と宿舎に関する要求が変更になったりと本当にいつ、なにが起こるか分かりません。とにかく昨今のイタリアは、不法就労問題のあおりか、外国人の滞在許可に関して、非常に厳しくなっているようです。大使館の方の話では、特にフィレンツェが厳しく、滞在の延長がほぼ認められない、と言われている、ということでした。本当に!?

ビザを取得した後、イタリア入りしてから8日以内に所轄警察署に届出し、滞在許可書の申請をすることになります。
※ビザと滞在許可書は違うものなのです!
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by takashikaketa | 2006-09-29 01:21 | Diario 記録 | Comments(1)

La speranza e l'ultima a morire

しばらく更新してないので、さあ書くぞ!と思ったものの、そんなに面白いことばかりの毎日でもないので、また去年の話でも。書くことで過去を乗り越えます。

8月ドイツでの大騒ぎは、前にも書いた通り。しかし、その一ヶ月前にもイタリアでもう一つの大騒ぎがあったのです。これもまた不可抗力によるものではありません、、、、要するに自業自得(特に3人に関しては)。

2005年7月23日、リクレアツィオン・ダルカディア初の海外ツアー(ツアー自体初めてですが)をイタリアはUrbino音楽祭で終えた、私達4人。演奏会は想像以上に盛り上がり、去年のコンサートの中でももっとも印象に残ったものと言えるかもしれません。しかし!その後に落とし穴が待っていた、、、、、

夜11時ごろ演奏会は終演。楽屋には聴衆がつめかけ、なかなか後片付けも進まない中、ヴァイオリンの幸恵ちゃんは翌日朝の便で日本へ帰国するために、超特急でウルビーノを出発しなければいけませんでした。それも、イタリアの中部東端のウルビーノから、北部ベルガモ空港までの夜を徹してのドライブ。便は、朝8時発。そのプラン自体がincredibileなものであると言えなくもないですが、マネージャーのフランチェスカの奮闘によって、それは可能なはず、でした。

「急いで!」とせかされる中、他の3人は幸恵ちゃんとしばしの別れ。「気をつけてね~」と言葉を交わした後、残った3人は、音楽祭のスタッフとウルビーノの美味しい料理に舌鼓を打ったのでした。

残った3人、わたなべ、松永、私は次の日の夜19時40分の便で、同様にベルガモからアムステルダムに戻る予定となっていました。そのため、次の日は、ウルビーノをプチ観光。城内の美術館をのんびりと見て周り、音楽祭の楽器展示をのぞいて、お昼はヴァイオリニストのエンリコ・ガッティと待ち合わせ、ランチをすることになっていました。エンリコは、日本にも数度来日しているのでご存知の方もいるでしょうが、コレッリやイタリア初期のヴァイオリン作品に高い見識と音楽性を見せる有名バロック・ヴァイオリニスト。音楽祭の講師として来ている彼は、私達のコンサートを聴きにきてくれて、ランチに誘ってくれた、というわけです。北イタリア人特有の穏やかさを持ったエンリコとのランチはとても楽しいもので、すっかり時間を忘れて私達は話に没頭してました。

そして、そのころ、ベルガモを発ったはずの幸恵ちゃんはなぜかミラノにいました。早朝6時にベルガモに車で到着した幸恵ちゃんはフランチェスカと別れ、チェックインカウンターに。しかし、なんと予約した便は欠航。午後にアムステルダムで日本行きに乗り換えるはずが、その計画はガラガラと音を立てて崩れていったのでした(たぶんそうだったと思う)。キャンセル待ちの便はその日の夜。日本行きの便に間に合うはずもありません。突然見ず知らずの地で一人投げ出されてしまった彼女は、様々なすったもんだの挙句、そこでミラノに向うという英断をしたのです。さあ、どうなる幸恵!

再び、ウルビーノ。レストランでのんびりとランチは続いています。
ふと気づくと、時計の針は2時半。そろそろ行かないとまずいんじゃないかな、と言うと、なべさんは「あ~、なんとかなるよ。」(コレはいつものこと)。渡邊氏の「なんとかなるよ」の意味は「だめかもしれない」ということだと知ったのは、もう少し後のことでした。エンリコに「実は僕達は今日7時半くらいにベルガモを発つんだよ」と言った瞬間のエンリコの顔は忘れることができません。「えっ、、、、、、(時計に目をやる)、、、、、、、、だ、だいじょうぶ、、、?」
心配したエンリコは、すぐに店のウェイターを呼び、タクシーを手配。半ばあきれた様子で「音楽祭のスタッフは毎日スケジュールにうるさいから、君達のようなリラックスピープルは好きだよ!」と褒めてくれました!あははははは、、、、

2時45分ごろウルビーノを発ち、もっとも近い(といっても車で30分くらい)ペーザロというロッシーニの故郷である最寄駅まで、タクシーで急行。3時10分過ぎの電車が少々遅れていたため、ダッシュで駆け込み乗車。これでようやく安心かと思いきや。そこはイタリア国鉄。思い通りに行くはずがありません。順調に行けば6時前にはミラノに着くはずが、到着は30分以上の遅れ予定。ミラノに6時につかなければ、ベルガモ19時チェックインは不可能です。どうしたら間に合うかと綾子さんと電車の中で悩んだ挙句(この間なべさんは熟睡)、一つ手前の駅で降りて、タクシーでベルガモに向う、というイチカバチカの賭けにでました。混雑する車両を楽器と荷物を抱えて通り抜け、ばたばたと駅を降りるとタクシーがいない、、、!しかし、なんと申し合わせたように駅前にはベルガモの空港行のリムジンバスが!一縷の望みをかけて、バスに乗ると、乗客は私達3人のみ。貸切状態となった私達は、運転手に「7時までに着きたいからお願い!!!」と懇願。「よし、オレッチに任せろ!ダテに25年ハンドルは握ってねえぜ!」とは言いませんでしたが、ものすごいスピードで空港に向ってくれたのです!

普段50分はかかる道のりを40分弱で到着。運転手に熱いお礼を述べて、一目散にチェックインカウンターへ。その時点で19時1,2分。チェックインは出発40分前まで、19時まででしたがカウンターには行列があったため、まだチェックインは続いているものと思い、一安心。一連の騒動はハッピーエンドのように思った矢先でした。カウンター上部のテレビ画面がパッ、と消え、どうも様子がおかしい。おそるおそるカウンターで係員に問いかけると「もう終わりました」。

ガーーーーーーーーーーーーーン(クラスター音)

その日の便はもうなく、なべ&マツは次の日の便を予約。私は別に急ぐこともないので、電車でのんびりと世界の車窓からモードで帰ることにしたのでした、、、、

幸恵ちゃんはというと、ミラノ最大の空港マルペンサで日本直行の便を新たに購入という大胆な解決策でなんとか日本に。超格安便でシビアな乗り換えをするのは本当に危険だ、という教訓でした。。

予想外の一泊の後、なべ&マツはベルガモ空港へ。私はミラノ駅まで。
しかし私の受難はそこで終わらず、40分近く行列した後の駅カウンターでは「もう今日の切符はない」と言われ、旅行相談所では「あ~、明日はストだから帰れるのは明後日だよ~」と言われ、予想を超えたミラノ泊。ツアー後の疲労もピークに達し、観光どころではありませんでしたが、最後の力を振り絞り、ドゥオーモだけは見てきました。次の日はいい加減あきらめて、飛行機で帰路。

エンリコとの楽しいランチがほんの30分ほど長かったために、フライトを逃したばかりか、2日もの延泊。30分が48時間になるという、わらしべ長者のようなお話でした。

時間は大切にね!
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by takashikaketa | 2006-04-25 02:03 | Diario 記録 | Comments(2)

セーヌ川は天使の尻より出ず

 タイトルは、「セーヌ川の水には少々下痢を引き起こす作用がある」という、”十八世紀パリ生活誌 Le Tableau de Paris”(Mercier, 1782)からの言葉。お食事中の方、すいません。自慢ではないですが、私は胃腸が非常に弱い。そうすると主な活動地域のトイレ・マップを完全に把握しているということになります。またはどうすればトイレを見つけることができるか、というテクニックを自然と身に付けていくことになる。しかし、それは日本国内に限ってのこと。ヨーロッパではまったく私のトイレ発見テクニックが通じない。それこそ、セーヌ川の近くでピーコン!!!ピーコン!!!とおなかのカラータイマー(@ウルトラマン)状態になったときに近くのカフェに駆け込んだら、「うちは注文した客にしかトイレは貸さない」と冷酷な言葉、、、しかもあの辺りはカフェ一杯でも異様に高いのだ!あそこに公衆トイレがある、と教わると、数百メーターを全速力で走りぬけ、ようやく間に合った!というのは、まだ幸せなエピソードである。
 ハプニング続出のドイツツアー、一回目のコンサートのあった教会でのこと(ちなみにヴァイオリンを忘れたことが発覚したその日)。ここ数百年は変わることはなかっただろうと思われる質素な建物。リハーサルの後、私はトイレに行きたくなった。もちろんおなかの具合が少々よくなかったのだ。(前の晩に食べた、まずくて大きいピザのせいか、、、)牧師さんに、私は尋ねた。
「トイレはどこですか?」
牧師さんは笑顔で答える。「ありません。」
冗談と思った私はもう一度きく!「トイレはありませんか?」
牧師さん、満面の笑みを浮かべ、「ここにはありません。」
そして、聖なる教会の裏手の原っぱを指差し、
「誰も見てないから、あそこでしてくれば?」
「え”え”~~~~~~~~~~~!!!」(これは心の叫び)

神にすがらず、紙にすがった、というドイツ・トイレ事情の顛末でした。

お食事中の方、すいません。

 さて、マクラはその程度にして、先日のヴァイオリンの話の続き。

ヴァイオリンを忘れた事実に気づいた一行は、車の中で相談。選択肢はまず2つ。
その日と次の日は、コンサートがあるが、その後2日間はオフになる。
その間、

 1)渡邊孝がアムステルダムに電車で戻り、楽器を持ち帰る。
   アムス-ドイツ間の電車代は結構高い。もちろん自腹。
 2)3人で何事もなかったようにアムステルダムに車で戻り、楽器を持ち帰る。
   ガソリン代と唯一の運転手アンドレアスの疲労、推して知るべし。

どちらもコスト等考えるとあまりいい案ではありません。
そうすると、我らがアンドレアス、「ドイツで楽器を貸してくれる人を探すのは?」というアイディアを提案。彼が携帯電話で、友人等にかたっぱしから連絡、ツテをたどりたどって、ついにハレとカッセルの楽器屋さんに連絡がついたのです。距離的にはカッセルのほうが近いものの、ハレの楽器屋さんは、バロック・ヴァイオリンの在庫がかなりあり、人に貸し出すこともよくある、と想像だにしない理想的なご返答。「ハレに行くぞ!」と決まるまでにはそう時間がかかりませんでした。ちなみにハレは、ライプツィヒの北にあるヘンデル生誕の地。私達がいた中部ドイツからはかなりの距離(ドイツの地図をご覧ください)があったものの、オフの2日間、観光も兼ねて行く事になったのは、不幸中の幸いと言うべきか。
 その夜、綾子氏に連絡を入れると、さすがの彼女も驚いていました。周りの仕事仲間もかなりびっくりしていたようで、その事件はイタリアの仕事仲間の間でも有名になったようでした。(その後イタリアで、「あぁ!あなたがヴァイオリンを忘れた人?」と訊かれた。)
 いくらで楽器を借りることができるのか?という相場が全く分からないのでその点のみが不安でしたが、私達は、安心して2日間のコンサートを済ませ、ハレに向ったです。

 ハレの楽器屋さんに着くと、そこには10数台のバロック・ヴァイオリンが!それは日本では全く考えられないこと。さぁ、どれを借りるか!!、、、、、、、、、え、、、と、、、、誰が決めるの?というのは、奏者本人が来るのは、その次の日、弾く人がいないのにどうやってヴァイオリンを選ぶの!?

 リコーダー奏者 アンドレアス 「カケサンに任せる」
 チェンバロ奏者 渡邊孝 「まったく分からない」

とくれば、唯一の弦楽器奏者である私が弾かないわけがない。
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最終的に私が選んだのは、18世紀末、Klotzファミリーのラベルがついている(偽装?)楽器。一週間の借用代24ユーロなり。(安い!)

次の日やってきた綾子氏は、その楽器を弾いて、とっても良い!と喜んでくれた、というのも不幸中の幸い。結果的には喜びのうちに騒動は幕を閉じたのでした!

そのときのコンサートツアーを報じたドイツの新聞。このヴァイオリンがそうです。
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参考のため、ハレの楽器屋さん
 Wolfram Ries www.ries-geigenbau.de

リースさん、リースしてくれてありがとう!(あ、ダジャレ多すぎ?)
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by takashikaketa | 2006-03-23 02:27 | Diario 記録 | Comments(6)

ハプニング

先月末、楽器のケースをあけたら、コマがころころ、、、と落ちてきました。弦もばらばらばら、と4本揺れていました。アジャスターのネジもぼろぼろと落ちてきました。こ、こ、これは、と思ったら、テールピースをとめているテールガットが切れていたのです。
(弦楽器の仕組みを知らない人はなんだかわからないと思いますが、要するに壊れた。)

それは私の持つ2台の楽器のうちモダン楽器のほうで、その先日のリハ中にピシッと異音がしたとき、ピピピとスピリチュアルな波動を楽器から感じていたので、それほど驚きませんでした。本番中でなかったのが、なによりの幸いです。そう頻繁ではないですが、楽器にまつわるハプニングに遭遇することはそれほど驚くべきことではありません。
先日のガエタノとの演奏会ではチェンバロのつめが折れたために、後半の1曲目のあと10分ほど急遽中断。調律の佐藤さんは、こんなことは20年に一回くらいだ、と言ってました。去年のローマでのコンサート中は、ヴァイオリンの弦が切れました。(ガット弦は切れやすいと言いますが、本番中切れることはそうありません。)
なぜかそういうときは客席から拍手が起こります。

本番中のハプニングは予測できないものですが、去年の夏に驚くべき事態に遭遇してしまったことがありました。(某所ではすでに書いたことですが)

8月後半に10日間ほど、中部ドイツ(テューリンゲン地方)を1人のドイツ人(リコーダー奏者)と3人の日本人(ヴァイオリン、チェロ、チェンバロ)でコンサートをして周るプロジェクトがありました。ヴァイオリンの松永綾子氏は、ヴィオラを持って、まずイタリアでの仕事を終えてからドイツ・ツアーに途中合流するために、ヴァイオリンを渡邊孝と私に託していくことになっていた。2台の楽器を持って、飛行機(格安)に乗ることは危険だからです。彼女は、冗談交じりに「忘れないように、紙に”持っていくもの ヴァイオリン”と書いて壁に貼っておいてよ」というので、こちらも冗談で

持って行くもの ヴァイオリン

という大きく書いた紙を一番目立つ壁に貼っておきました。
そういうわけで、綾子氏はヴィオラとともに先にイタリアはシチリアへ。
残された2人+ドイツ人のアンドレアスは、アムステルダムから数日後に出発。
しかし、出発の日、渡邊孝と私は見事に寝坊。迎えにきたアンドレアスの呼び鈴で目覚め、大変な勢いでパッキングを済ませ、チェンバロを車に乗せ、一路ドイツに向ったのです。

アムステルダムからドイツへの道のりは車で10時間くらいだったでしょうか?
無事ゴータという町に到着、アットホーム(良く言えば)なペンションで休息をとった次の日はコンサートのある町に移動するまでの間、余裕の観光。至極順調なコンサートツアーのように思えた、その日の正午近くでした。
突然、渡邊孝の動きがピタっ!と止まった。

渡邊「か、か、か、か~けさ~~~~~ん」
私「え、なに?」
渡邊「た、た、大変なことに今、気がついたよ~~~」
私「え、、、なに!!!!????」
渡邊「ヴァイオリンをアムスに忘れてきたよ!!!!!!
私「え”え”え”~~~~~~~~!!!!!!!」

そう、私たちは

持って行くもの ヴァイオリン

という張り紙もむなしく、ヴァイオリンを数百キロ離れた遠いアムステルダムの家に忘れてきたのだ!

どうするタカシx2!どうするアンドレアス!どうするんだ~~~~!

<続く>
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by takashikaketa | 2006-03-21 00:58 | Diario 記録 | Comments(2)

Boccherini

週末は飛騨高山に行ってきました。さすがにまだ寒く、日曜の昼は吹雪でした。2年ほど前から1、2ヶ月に一度高山にはレッスンをするために通っているのですが、そのほとんどに宿泊していた駅前のホテルは、例の「耐震偽装建築」であることが発覚したために現在は使用できなくなってしまいました。哀れ、、、、、、、。

まったく話は変わりますが、
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この名刺はなんとルイジ・ボッケリーニの子孫であるホセ・アントニオ・ボッケリーニさんのもの。現在はマドリッドにお住まい。先日ガエタノが見せてくれました。いつかお会いしてみたいものです。このような話を聞くと、音楽家のまさに脈々と受け継がれている血というものが目の前に存在している場所がヨーロッパである、ということを思い知らされます。ホセさんは音楽家じゃないみたいですが。日本でも近松門左衛門の子孫とかっているのかな、、、、。友達に近松くんという人がいて、その人のあだ名は「もんちゃん」だったけど。(ちなみに彼はパッヘルベルの専門家。没後300年!)

そして、今日ようやく捜し求めていた本「Le violoncelle en France au XVIIIeme siecle」をある図書館で入手しました。めでたしめでたし。

Le violoncelle en France au XVIIIe siecle
Sylvette Milliot
Éditeur : Slatkine (1985) ISBN : 2051006903

日本はなんでもすぐに手に入るな~。
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by takashikaketa | 2006-03-15 02:31 | Diario 記録 | Comments(6)

ガエたん

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by takashikaketa | 2006-03-01 19:06 | Diario 記録 | Comments(0)

limoncelloに注意

最近週1回くらいのペースでイタリア語を習い始めました。
ナポリ出身のマリオくんとスタバでレッスンしてます。楽しいです。

今日のことわざ Meglio tardi che mai (遅くてもしないよりはまし)

去年イタリアをまわったときは、イタリア国鉄(trenitalia)には驚きました。
10分遅れなんては定時扱い、30分遅れはまあ普通、電車が来れば儲けもの。
乗ったはいいが、30分で着くはずのところ1時間半かかるなんてこともたまにある。
駅の端末が全部ダウンして、手書きの切符を一人一人に売っていた場面にも遭遇した
こともある。(おかげで駅はすごい行列!) trenitaliaはまさに毎日が想定外。
極めつけは、電車出発時間の掲示板が「18:65」を表示していたこともある!
そこまでくると、もうファンタスティック!!としか言いようがない。

駅で電車を待っていたら、いつまでたっても電車が来る気配がない。
駅員に聞いてみたら、「ああ、その電車はだいぶ早く着いたので、早く出発しました」とのこと。「ええ!!!そんなひどい話はないじゃないですか!」
駅員「だって、この先、いつ遅れるか分からないじゃないですか!」
(これ、実話らしい)
JRさんもこのぐらいのユーモアを身につけてほしい。あ、ユーモアじゃないか。

話は変わって、またvioloncello da spallaの話。
ディマが22日のBCJカンタータでチェロ・ピッコロのオブリガートをこの楽器で弾くみたいです。興味のある方は行ってみてください。東京オペラシティ。あ、今日だった。

 ボローニャのアカデミア・フィラルモニカのvioloncellistたちは、果たしてspallaのように楽器を構えていたのか、ということですが、それに関連して、1697年のA.Bononciniのvioloncelloオプリガートとソプラノのための作品を見てみました。最高音はA線のオクターブ上のa。c線はほとんど使用されていません。かと言ってe'線(またはd'線)を前提としたパッセージはありませんでした。オブリガートチェロは、ギターのように和弦をきざむ部分が頻繁に現れ、その音域とテクスチャーから楽器が小型である可能性は高いような印象を受けます。つまり、小型のspallaのような楽器が想定されていたのではないか、と想像することもできます。
 それをさかのぼること10年前の1687年ボローニャで出版されたAntoniiのRicercareでは、c''が現れます。調弦が(最高弦がgでなく)C-G-d-aとしても、開放弦の10度上は、spallaスタイルで構えた楽器ではほとんど不可能ではないのでしょうか?(Lambert Smit氏の検証を参照のこと。)ましてや、同時代ボローニャ人トレッリの初版のengravingにあるような大型楽器をスパッラ・スタイルで構えた時に可能な音域とは到底思えません。5弦だった、または4弦で調弦がG-d-a-e'(またはd')だったという可能性もアントーニの作品からはうかがえません。

 それからしばらく後、1736年のランゼッティのソナタ作品1では、もう左手親指を必要とするパッセージが出てきますから、1720年代後半のイタリアではすでに親指を使用する技術が生まれていたと考えるのが妥当です。つまり、楽器は足の間にはさんでいた、ということ。しかし、同時にランゼッティが椅子に座り、チェロを水平にかまえてアンサンブルしている様子を描いた絵画というのも残っているのです。(1750年代前半のパリ)

 要するに、17世紀末から18世紀前半にかけて、同時代であっても"violoncello"という語には、複数の演奏スタイルと楽器のサイズが含まれていたのではないか、ということがたったこれだけの例からでも推測できるのです。そして、今となっては、結局それぞれの作品を吟味し、それに相応しい響きを得るために楽器とテクニックを選ぶしかない。そして、それが生き生きと響くかどうかは演奏者次第、という当たり前の結論に落ち着くのです。

Chi cerca trova! (求めるものは見いだす)
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by takashikaketa | 2006-02-22 03:36 | Diario 記録 | Comments(4)

チェリスト 懸田貴嗣の備忘録


by takashikaketa
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